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名古屋地方裁判所 昭和47年(レ)114号 判決

控訴人

松山秀子

右訴訟代理人

野島達雄

外二名

被控訴人

安藤努

右訴訟代理人

伊藤典男

外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人から控訴人に対する西枇杷島簡易裁判所昭和二六年(ユ)第九号家屋明渡調停事件の調停調書に基く強制執行はこれを許さない。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二、被控訴人

主文同旨

第二  当事者の主張

一、請求原因(控訴人)

1  被控訴人先代安藤守一から控訴人に対する債務名義として、西枇杷島簡易裁判所昭和二六年(ユ)第九号家屋明渡調停事件につき昭和二七年六月一二日成立した調停の調停調書が存在する。

2  右調停調書には、守一は、控訴人が別紙目録(二)記載の建物(以下、本件建物という)を所有することを認め、控訴人に対してその敷地たる同目録(一)記載の土地(以下、本件土地という)を右建物所有の目的で昭和三九年一二月末日まで賃料年四七〇円七六銭毎年一二月末日払の約にて賃貸し、控訴人は、右期限が到来したときは右建物を収去して右土地の明渡をなす旨の記載がある。

3  被控訴人は、守一が昭和四二年四月七日死亡したので、同人の承継人として前記調停調書につき承継執行文の付与を受け、これに基いて名古屋地方裁判所に本件建物収去土地明渡の強制執行の申立をなした。

4  しかしながら、本件土地の賃貸借契約は調停成立の日である昭和二七年六月一二日に成立したから、前記調停調書記載の賃貸期限昭和三九年一二月末日とあるは借地法二条二項、一一条により定めなかつたものと看做されて、同法二条一項により昭和五七年六月一二日となる。

したがつて、前記調停調書に基く控訴人の土地明渡義務はいまだ発生していない。

5  仮に、右主張が認められないとしても、前記調停調書記載の賃貸期限は、昭和一九年に締結された本件土地の賃貸借契約の約定期間二〇年を確認したものにすぎなかつたところ、控訴人は右期限経過後も本件建物を所有し本件土地の使用を継続していたので、本件賃貸借契約は借地法六条により法定更新された。

したがつて、前記調停調書に基く控訴人の土地明渡義務は消滅するに至つた。

6  仮に、右主張が認められないとしても、

(一) 守一は昭和四〇年度及び同四一年度の本件賃料をなんら異議を留めることなく受領したこと、

(二) 被控訴人は昭和四一年八月一六日に至つて初めて本件土地の明渡を請求するようになつたこと、

(三) 被控訴人は昭和四六年ごろまでなんら強制執行の申立をしなかつたこと、

などから、守一・控訴人間に昭和四〇年以降、本件土地につき黙示的に新たな賃貸借契約が成立した。

したがつて、前記調停調書に基く控訴人の土地明渡義務は消滅するに至つた。

7  よつて、控訴人は本件調停調書の執行力の排除を求める。

二、請求原因に対する認否(被控訴人)

1  請求原因1ないし3は認める。

2  同4のうち、調停成立の日時は認めるが、その余は否認する。

3  同5は否認する。

4  同6のうち、(三)は認めるが、その余は否認する。すなわち、被控訴人は控訴人に対し昭和三九年八月以降本件土地の明渡を請求していた。また、被控訴人が明渡を猶予していたのは村役場の職員からその旨の申し入れがありそれを考慮したためである。

三、抗弁(被控訴人)

本件賃貸借は一時使用のため借地権を設定したことの明らかな場合にあたる。すなわち、

1  本件賃貸借は、守一が控訴人を相手に申立てた西枇杷島簡易裁判所昭和二六年(ユ)第九号家屋明渡調停事件において、昭和二七年六月一二日に成立したものであること、

2  そして、右調停によつて成立した本件賃貸借において本件賃貸借を更新せず、また、賃貸期限徒過と同時に本件建物の所有権が守一に当然移転する旨の合意がなされたこと、

3  被控訴人の祖父安藤喜代三郎は、松山秀男を連れたその母松山すミと婚姻し、同人らは喜代三郎が大正三年ごろ建築した木造瓦葺平家建店舗床面積87.60平方メートルに居住するに至つたが、そこへ秀男と婚姻した控訴人も住み始めた。しかし、控訴人夫婦は一時商売の都合で名古屋市で暮していたが、すミが死亡した昭和一九年ごろ再び右建物で居住することになつた。ところで、秀男が昭和二二年一一月に死亡し、そのころから、守一は、控訴人に対して右建物の明渡を請求するようになり、遂に昭和二六年に控訴人を相手方として西枇杷島簡易裁判所へ右建物明渡の調停を申立てた。それに対し、控訴人は、すミが喜代三郎から右建物の贈与を受けたとか、子供が成人するまで右建物を収去して土地を明渡すのを猶予してほしいとか懇請するので、守一は当時幼児をかかえた寡婦の控訴人に同情して本件調停を成立させたのである。なお、調停で右建物は二棟に分割され、そのうち一棟は本件建物として控訴人が所有することを、その余の一棟は守一が所有することを相互に確認したのである。

四、抗弁に対する認否(控訴人)

抗弁のうち、1、2のうちの本件調停において賃貸期限徒過と同時に本件建物の所有権が守一に当然に移転する旨の合意のなされたこと、3のうちの被控訴人の祖父喜代三郎が秀男を連れたその母すミと婚姻したこと、控訴人が秀男と婚姻したこと、控訴人夫婦が一時商売の都合で名古屋市で暮していたこと、すミが昭和一九年に、秀男が昭和二二年一一月にそれぞれ死亡したこと、守一が控訴人を相手に西枇杷島簡易裁判所へ建物明渡の調停を申立てたことは認めるが、その余の抗弁事実は否認する。すなわち、

1  本件建物はすミが建築し、その所有権は相続を原因として秀男を経て控訴人に移転したことが調停において認められたが、その敷地の占有権原の約定がなかつたため、右調停における本件賃貸借により右敷地につき借地権が設定されたのである。

2  調停成立当時、本件建物は建築後三〇年余を経過していたとはいえ別段機能上の支障はなく、また、本件建物は居宅として一般的な木造平家建で、風呂場・便所・台所等居住に必要な設備を有していたのである。

3  本件の賃貸期間一二年六月余は一時使用のためとするにはあまりに長く、これをも一時使用期間に含めるとすれば借地法の立法趣旨に著しく反するのである。

4  本件調停調書中の本件賃貸借契約はその一部について本調停成立以前に成立していたものである旨の記載は、本件賃貸借が一時使用のためのものでない趣旨を明らかにするためのものである。そして、賃貸借の成立時期についてはなんら定めるところはないが、昭和三九年末をもつて期間が満了するとしたことから、右時点より二〇年前である昭和一九年を賃貸借成立時と予定するものであることが窺われる。しかも、昭和一九年はすミが死亡した年であり、ここに賃貸借の始期を置いたとみるのは充分理由のあることである。

第三  証拠〈略〉

理由

一請求原因1ないし3は当事者間に争いがない。

二そこで、請求原因4、5及び抗弁について調べてみる。

〈証拠〉を総合すると、次のとおり認定することができる。

1  被控訴人の祖父安藤喜代三郎は、大正八年ごろ自己の所有する本件土地上に木造瓦葺平家建店舗床面積二六坪五合を建築し、昭和六年三月二四日に婚姻(ともに再婚)したすミと同女の連子秀男と共にその建物に居住していた(被控訴人の祖父喜代三郎が秀男を連れたその母すミと婚姻したことは当事者間に争いがない)。

2  その後、控訴人は、昭和八年一二月二三日に秀男と婚姻し、右建物に同居していたが、控訴人夫婦は商売の都合で一時名古屋市に転居し、同一九年九月一九日にすミが死亡するや再び右建物に居住するに至つたので、喜代三郎はそのころ右建物から裏の建物へ移りそこで暮すようになつた(控訴人が秀男と婚姻したこと、控訴人夫婦が一時商売の都合で名古屋市で暮していたこと、すミが昭和一九年に死亡したことはいずれも当事者間に争いがない)。

3  そのうち、秀男が昭和二二年一一月九日に、喜代三郎が同二六年七月九日にそれぞれ死亡したが、守一は喜代三郎の子として同人所有の前記控訴人居住建物及び本件土地を相続し、同年一〇月二六日に右建物につき保存登記をする一方、その頃控訴人を相手方として西枇杷島簡易裁判所に建物明渡の調停を申立てた(右調停の申立については当事者間に争いがない)。

4  この申立の趣旨は、守一が自己の代になつたのでこの際自己と控訴人との間の財産関係、権利関係を明確にしようとするところにあつた。

5  調停委員会が主宰した右の調停において、本件土地が守一の所有に属するものであることについては当事者間に争いがなかつたのであるが、前記建物については控訴人においても喜代三郎から贈与をうけたとしてその所有権を主張し、かつ、当時控訴人は昭和一〇年一〇月一八日生の長男修と昭和一六年一一月二一日生の二男正勝の二児をかかえた寡婦であり、当面その立退先のあてもなかつたところから、守一も控訴人の立場を考慮し、調停当事者双方が互譲した結果、控訴人の子供とくに二男の正勝が成人して一人前になるであろうときまでの間にかぎり本件土地上に控訴人家族らが居住することを守一において認めることにし、右建物を南北一棟ずつの建物に分割してそのうちの南側の一棟(これが本件建物である)(以下乙家屋とも呼ぶ)を控訴人が、北側の一棟(以下甲家屋とも呼ぶ)を守一が各所有するものとしてその旨を双方が確認することにし、乙家屋の敷地たる本件土地を控訴人が使用することについては、前認定のように従来控訴人は喜代三郎の親族の一員(同人の義理の息子の嫁)として同土地上に居住していたものにすぎず、この土地につき独立した使用権限を有しなかつたので、本件土地についても右の間にかぎり守一においてこれを控訴人に賃貸することにし、この線に沿つて、なお、当事者双方は右の土地賃貸借期限を昭和三九年一二月末日(向う一二年六ケ月余)までと定め、かつ、右期限が到来したときは控訴人は守一に対して本件建物を収去して本件土地を明渡すことは勿論その際移転料その他何らの請求もしないこと、右期限がきても控訴人が右建物を収去して右土地を明渡さない場合は何らの意思表示を要せず当然に本件建物の所有権は控訴人から守一に譲渡され、本件土地の右賃貸借も当然に解除となり、控訴人は守一に対し乙家屋より退去して同家屋と本件土地を明渡すこと、守一は控訴人のため自己の費用で右の分割後これにより切離される本件建物の北側部分を補修し、かつ、その部分に勝手場を改築すること等の合意をなし、ここにおいてこれらの合意事項を主たる内容とし、これらの条項を含む本件調停が昭和二七年六月一二日に成立した(本件調停成立の日時は当事者間に争がない)。

6  本件調停成立後の事情としては、その間もなく、守一は控訴人のため調停の趣旨に従い自己の費用で本件建物の北側部分を補修し、かつ、その部分に勝手場を改築し、守一及び被控訴人は右調停条項を信頼し前記賃貸借期限に本件土地が明渡されることを期待して右期限の到来するのを待ち、控訴人も昭和四一年頃には本件土地上から他へ移転するための立退先を探したのであつた。

かように認定することができ、この認定に反する原審及び当審における控訴人本人の供述部分はにわかに信用することができず、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。

右認定事実によると、まず、本件土地の賃貸借は調停によつて成立したものであるから、これの賃貸借条件についても当事者双方の自由な意思による納得が担保されているとみるべきところ、この判断を左右しうべき資料はなく、次に、右調停は親族者間の財産関係の明確化のため申立てられたものであるところ、この調停において従来本件土地につき独立した使用権限を有しなかつた控訴人のため、その子供らが一人前になるまでの間にかぎり同土地の使用をさせることを目的として本件土地賃貸借が成立するにいたつたことが分り、また、前記の各調停条項の内容及び本件調停成立後の事情からみて、当事者が当初本件賃貸借の更新を全く予定していなかつたこと、しかしそのことにより控訴人が一方的に不利益を強いられたともみられないこと、したがつてこれらの点からして本件土地の賃貸借につき借地人救済のための借地法の関係諸規定を適用することが不可欠とまではいいえないことが分り、以上の諸点をさらに綜合して考えると、本件土地賃貸借はその期限を昭和三九年一二月末日とする借地法九条にいう一時使用のための賃貸借と解するのが相当である。

控訴人は本件土地賃貸借が一時使用の賃貸借であることを争い、抗弁に対する認否欄の1の主張をするが、本件調停の成立した経緯については前認定のとおりであるから右主張に対してはここで特に判断を加えない。

控訴人の同欄の2の主張については、前認定の事実及び本件弁論の全趣旨からすると、その主張事実を認めうるが、このことはいまだ前記の判断を左右するに足りないし、同欄の3の主張については、なるほど本件賃貸借の存続期間一二年六ケ月余は一概に短期なものといいきれないが、しかし、借地法が定める借地権の最短存続期間二〇年に比べると、なお相当短いものであるし、かつ、そもそも調停、和解等によつて成立した借地権につき、これが一時使用の借地権か否かをきめるに際し期間の物理的長短にあまり力点をおきすぎると、同情心厚き賃貸人がまさにそれ故にかえつて不利になる結果を招きかねないのであつて、このことは本件においても当裁判所が看過しえないところであり、これらの諸点に前記に認定、説示した本件調停成立の経緯や事情、本件調停、したがつて本件土地賃貸借の内容や特徴を加えて勘案するとき、当裁判所はその存続期間を一二年六ケ月余とする本件土地賃貸借につきなおこれを一時使用のための賃貸借と解すべきであると判断する。

次に、控訴人の同欄の4の主張については、〈証拠〉によると、なるほど本件調停の調停条項二項中の括弧内に控訴人主張の趣旨の記載のあることが認められるところ、本件全証拠によつてもこの記載の趣旨は必ずしも明確ではないのであるが、しかし、この趣旨が那辺にあるにせよ、本件調停成立以前に本件土地につき控訴人が借地権を全く有していなかつたことは前認定のとおりであるから、右記載は当裁判所の前記判断を左右するものではない。

右の次第で、被控訴人の一時使用のための借地権の抗弁は理由があり、請求原因4は理由がなく、同5についても、本件土地賃貸借は本件調停において全て成立したものであり、それ以前に成立していたものでないことはさきに認定したとおりであるから、同5は、その前提を欠き、この点ですでに理由がない。

三次に、請求原因6について調べてみる。

控訴人の同6の(一)の主張につき、控訴人は、まず、控訴人において守一に対し昭和四〇年度及び同四一年度の本件土地の賃料を支払つたと主張するのであるが、このことを認めるに足りる証拠がない。すなわち、原審における控訴人本人の供述によつてその成立だけは認めうる甲第二、第三、第六号証には右主張に沿うかのような記載部分があるが、これらの記載を比較検討するとき、あいまいな点(たとえば、支払の日時、金額が不揃いである)や疑問の点(たとえば、甲第三号証の記載欄における地代七〇〇円の記載と他の記載との記入体裁の不揃い)があるのみならず、これらの文書はいずれも控訴人作成の文書であつてこの性格上これらの内容を控訴人において自由にきめうるものであるから、右の各書証によつてはいまだ右主張を確認するに充分でなく、〈証拠判断省略〉。

次に、同6の(二)については、〈証拠〉によれば、被控訴人は昭和三九年八月ごろ、及び同四〇年九月ごろに守一の使用者として控訴人に対して本件土地の明渡を請求していたこと並びに控訴人は同四一年頃本件土地からの立退先を物色していたことが認められ、〈証拠判断省略〉。

さらに、同6の(三)については被控訴人が昭和四六年ごろまで本件土地明渡強制執行の申立をなさなかつたことは当事者間に争いがない。しかし、このことについては〈証拠〉によれば、本件当事者双方は田舎に住んでおり、田舎のことゆえ本件紛争が風評にのぼり、これがいろいろ物議をかもすことになるのを被控訴人において避けたかつたこと、被控訴人自身できるかぎり納得ずくの円満な解決を望んでいたためあえて急いで強硬手段を講じなかつたのであるが、なかなか埓があかないので遂に強制執行の申立に至つたとの事情が認められるのであつて、これに反する証拠はない。

以上認定、説示の事実関係に即してみるときは、いまだもつて請求原因6の黙示の新しい賃貸借契約の成立はとうてい認められず、他に右賃貸借の成立を認めるに足る的確な証拠はもとよりなく、したがつて、請求原因6の主張もまた採用するに由がない。

四以上の次第で、控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきものであり、結論において右と同旨に出た原判決は相当であるから、本件控訴は理由がなく、民訴法三八四条により棄却を免れないものである。そこで、訴訟費用につき同法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(海老塚和衛 小林眞夫 都築弘)

目録

(一) 愛知県西春日井郡豊山村(現在の表示は豊山町)大字豊場字新田町一二三番一

宅地 588.42平方メートルのうち

98.24平方メートル

(二九坪七合二勺)

(ただし、左記(二)の建物の敷地にして、本件調停調書添付図面の赤線内の土地)

(二) 同所同番地一所在

家屋番号一二三番一の一

木造亜鉛メッキ鋼板交葺平家建店舗兼居宅

床面積 61.78平方メートル

(一八坪六合九勺)

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